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日露戦役軍食品供給記念
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勝本浦黒瀬蔦屋・原田卯八郎は、武生水村、田河村、渡良村、香椎村の有志の努力をえて、「壱岐海産組合」を組織し、自からが組合長となり、姉婿の勝本浦泉屋・篠崎武吉を納品代表者として、集荷への並々ならぬ覚悟を示し、総額で12万円ぶんの塩等の塩漬を広島の陸軍宇品量秣廠支廠に無事納め終えた。明治38年7月13日付けの同支廠あて請求書に塩鯖十貫(約37.5kg)16円70銭とある。

沼津の道は狭く急で、荷物運搬用の大八車が使えなかったため、天秤棒に魚を下げた屈強の男たちが、20人・30人と列をなし、悪路と肩に食い込む重さと痛みに耐え、勝本浦までの遠い道のりを毎日のように、黙々と歩きつづけた。男たちの天秤棒には、前後に4本ずつ、計8本の鰤があった、と伝える。

原田卯八郎、篠崎武吉は、沼津の人々への感謝の心を、具体的な品物にして沼津の将来、壱岐の将来を担う沼津小学校二百七十九人の子供たちに贈ったそうだ。

日本海海戦を大勝利に導いた連合艦隊司令長官海軍大将 東郷平八郎の直筆「忠」の1字と、まだ見ぬ西洋の国の楽器オルガンであった。

平成十九年九月 日露戦役軍食品供給記念碑再建委員会様の文献より

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